Interview

森尾 純子氏

大塚:森尾純子さんにお話を伺いします。

Q.現在の職種、業界、仕事内容を教えてください。
・内科医です。消化器内科医として病院勤務をし、現在はクリニックで外来診療と訪問診療に携わっています。

Q.ここまでのキャリアパスを教えてください。
・大学附属病院、一般病院に勤務後、大学院に入学・修了し、大学附属病院に再び勤務していましたが、家庭事情での転居を機に地域医療の場で仕事をしています。

Q.医師を目指したきっかけは?
・比較的短い期間に、所謂スパゲティ症候群といわれる点滴につながった状態で亡くなった祖父と、自宅の畳の上で亡くなった曾祖母を経験しました。自宅で最期を迎えることを希望する人がいて、手伝う人がいることでそれが叶うなら、と、在宅医療に興味をもったことがきっかけです。ちょうど、「病院で死ぬということ」という本が有名になっていたころで、特にがん患者さん緩和医療に興味を持ちました。人命救助の志望理由が多い中では、当時は珍しかったかもしれません。

Q.お医者さんも就職活動するのでしょうか?するのであれば、どのような活動をするのか教えてください。
・今は、必修の研修システムやマッチングという制度があり、私が経験してきたものと違います。けれども、希望する病院を見学したり、研修に参加したりして、その後テスト等を受けることは同じかなと思います。私の頃は、母校の希望科に残るにあたっては、テスト等はありませんでした。

Q.どのように最初の勤務先を選んだのか?理由・方法など
・受験生だった私は、医師になれれば全国どこの大学でも(一般家庭のため国公立に限定されていたので)いいと思っていましたが、6年生の時にある先生に、医師は働きたい場所の大学に進学すべき、ということでした。その時初めて気が付きましたが、確かに、育てて下さったところで働いて地域貢献すべきですね。実際、進路を決めるときには、環境的にも人間関係的にも母校が働きやすいと思う気持ちと、実家近くに戻りたいという気持ちで迷いました。最終的には、希望する研修システムがある病院をいくつか回って、母校を出ました。最初から専門科のみの仕事に入るのではなく、ローテーションと言って他の科も回りたかったので、そのシステムを行っている病院を探しました。 医師の場合、1-3年毎に転勤になることが多く、長く一定の場所にとどまることは少ないので、会社を決めるときとは多少異なるかもしれません。

Q.仕事で楽しい(楽しかった)ことは何でしょうか。
・出会いです!手技的なことができるようになったり、それで治癒したときに喜びを感じるのはもちろんですが「出会い」が一番と思います。多くの尊敬する上司や仲間に出会えました。患者さんやそのご家族からも多くを学ばせて頂く日々です。お手紙をいただいたり、会いに来たといっていただいたりすると、とても嬉しいです。

Q. 仕事で大変な(だった)ことは何でしょうか?
・研修医の頃は、“24時間365日患者様のために”、というスローガンの病院で育ったので、花の20代は雑巾のごとく働きましたね(笑)当直明けも、夜遅くに帰って座ったとたんにまた呼び出される、という生活でした。単に仕事がとろかったのかもしれませんが・・・。でもその時代のおかげで後の仕事における土台ができたと思います。

Q.では少し話を変えて大学院へ行った時のことも教えてください行く前後での違いはありますか?
・物事の捉え方や調べ方でしょうか。大学院に行かなかったら出会えなかった先生方、頭の作りが違う世界をみることができました。

Q.転職・復職の際は、どのようなことを心がけましたか?
・私の場合は、子育てが絡み、仕事を続けるにあたって家族が納得する形態が必要でした。その点を正直に話して、理解のある勤務先を選ぶことが第一でした。

Q.転職・復職に不安はありませんでしたか?
・今まで積み上げてきたものがゼロになるという不安がありました。

Q.転職・復職に向けて何かやっていたことがあれば教えてください。
・それまでは医局関連の中で勤務していましたが、一般の仲介会社に登録して、知らない病院をいくつか回りました。

Q.様々なことを経て現在の仕事(仕事のやり方?)と出会ったきっかけは何でしょうか?
・転居や出産などのイベント、悪阻で続けられなくなった仕事など、色々なことが絡み合って、現在の職場にいます。たどり着いたのは、以前の勤務先の先生と連絡を取り合っていたことがきっかけであり、人のつながりはありがたいと思います。
もともと終末期医療、緩和ケア、在宅医療といわれる分野に興味がありましたが、急性期の患者さんを看ることができなければその後の状態をケアできないと思い、救急病院で仕事をしました。がん患者さんと向き合いたい中で消化器内科という道を選びましたが、守備範囲が広く手技が多い分野のため、その道を行くには時間がかかりました。仕事は面白かったし、導いていただいた先生方の役に立てるようになりたいという思いもあり、消化器内科医として働き続けていました。いつか緩和ケアや在宅医療にしぼるのか、平行して続けていくのか、迷っていました。今の職場にたどり着いたのは、人生の流れの中でたどり着いた感じですが、迷っていた分野に足をふみいれるきっかけになりました。限られた勤務時間で仕事をさせていただき、やりがいのある日々を送らせていただいています。

Q.公私共にいろいろな方々とコミュニケーションを取っていると思います。コミュニケーションで心がけていることがありましたら教えてください。同僚、患者さんなどコミュニケーションの取り方が異なる場合は、各々教えてください。
・今は、メールなどのツールがあるおかげで、友人と繋がることができありがたいです。久しぶりでも、連絡をとりたいなと思う時は、積極的に連絡する方だと思います。患者さんとのコミュニケーションでは、一般的なことしか言えませんが、向きあってよくお話をきくことです。雑談もします。

Q.人に伝える時に心がけていることがあれば教えてください。
・主語述語、てにをは、に気を付けわかりやすく、といっても、友人にはメールの意味が不明だとよく言われます(笑)。話すときは、相手をみて、ですね。

Q.どのような人と一緒に働きたいと思いますか?
・尊敬できる人。一生懸命仕事をする人。人を大切にする人。

ご自身についてお聞かせください。
Q.子育てしながら働くのはどうですか?
・私は仕事をしながら育てることが自然だと思っていました。でも、子供がぐずったとき、言うことを聞かないとき、私が仕事をしているせいだと言われると、とてもつらい。何が正解なのかわかりません。今は、独りで抱える仕事をしていないこともありますが、急な休みなど、職場の対応はありがたいです。

Q.ロールモデルがいたら教えてください。
・どの分野においても、今の私よりもっと働いている母親はたくさんいらっしゃいます。私は今の勤務体形で、辞めさせられない程度に家のことを維持するのがやっとなので、なるべく人と比べて自己卑下しないようにやっていくしかないです。

Q.ご自身を構成するアイデンティティの要素は何でしょうか?
・医療人としての自分。母親になって、母であることもアイデンティティではありますが、「医療人」としてを否定されると、自分の今まで生きてきた道を否定された気分になります。

Q.幸せなのはどんな時ですか?
・子供と寝ているとき。

Q.最後に一言お願いします。
私の経歴は、4年制大学をでての就職活動にはあまり役に立たないかもしれません。でも共通して言えるのではないかと思うのは「何事にも意味がある」ということです。
思い起こせば、私の人生に大きな影響を与えている中高時代は、泣きに泣いて転校した父の転勤がなければありませんでした。貴重な大学時代を過ごした母校との出会いは、浪人してのセンター試験、とある科目の大失敗がきっかけでした。目指した大学とは違うけれど、とても楽しい学生生活でした。そして、当時はマイナスに思っていた出来事がなければ、今の職場の仲間に出会うことはなかったでしょう。
人生、望まない局面に立たされることも多々あると思いますが、それぞれにきっと意味があるのだと思います。目の前のことに真摯に取り組み続けることが大切、と自分にも言い聞かせつつ、ですね。
もうひとつ思い出しました。
女性として今だからいえること、女子学生さんだからこそ伝えておきたいことは、身体には止められない時間があるということです。仕事が面白くて、ある一定レベルまでは仕事を中心に頑張る方法もひとつ、若いうちに仕事もしながら子育ても頑張って、復帰後長く頑張る、という方法もひとつ。私は前者でしたし、結婚を考えても相手がいませんでしたが(笑)、後者も良い方法だなと思います。サポートする親(祖父母)も若くて元気(笑)。最近は高校までの授業で習うのかもしれませんが、赤ちゃんは授かりもの、でも、授かりやすい年齢は確かに存在しますので覚えておいてください。

大塚:貴重なお話ありがとうございます。


森尾純子
三重大学医学部卒業、東京医科歯科大学大学院修了医学博士。東京医科歯科大学附属病院などで勤務後、現在は横浜市内のクリニックに勤務中。

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