Interview

大下 英津子氏


大塚:大下 英津子さんにお話をお伺いします。現在の職種、業界を教えてください。
大下:都内の大学で働きながら、翻訳をしています。
最初に翻訳に興味をもったのは映画の字幕翻訳で、1990年代後半はしばらく翻訳学校の字幕講座に通っていました。次第に出版翻訳に興味が移り、2000年代初めから別の翻訳学校のノンフィクション講座に2年ほど通いました。そこでいい先生といい仲間に恵まれました。いまは先生の私塾に参加しつつ、ノンフィクション講座で出会った仲間と、翻訳コンテストの事前勉強会を開いています。

大塚:翻訳コンテストでも受賞されていますよね。
大下:「DHC翻訳新人賞」は、前述のノンフィクション翻訳講座仲間と毎年取り組んでいて、ほぼ毎年仲間から入賞者が出ました。わたしもそのひとりでした。

大塚:素晴らしい~!DHC翻訳新人賞受賞の前後で違いはありますか?
大下:経歴に訳書名が書けるようになったのは大きかったです。

大塚:話を変えて最初の就職について教えて頂けますか?どのように会社を選ばれたのでしょう?
大下:今と変わらず昔も鼻っ柱の強い人間だったので「失礼な人間、横柄な人間、慇懃無礼な人間になりたくありません」と言ったときに、ほかの会社の面接官は呆れたりムッとしたりしていました。新卒で入った会社の面接官は「そうだよねえ」と同意してくれただけでなく、拾ってくれました。なんて懐が深い会社だろう、と(笑)
この会社はリクルーター(その企業に勤めている大学の先輩)に始まって、全員人間的に尊敬できる人ばかりだったのも決め手でした。

大塚:なるほど。では就活で気を付けていたことがあれば教えてください。
大下:驕らず、さりとて卑屈にならず、は気をつけていました。

大塚:大学院へ行ったきっかけはどんなことだったのでしょうか?
大下:夫の駐在でニューヨークについていったとき、わたしはビザの関係で働くことができませんでした。毎日ぼ~っとしていたら、このままではまずいと焦った夫に「学校に行きなさい」と勧めらました。

大塚:大学院へ行く前と後での違いはありますか?
大下:「本の読み方」がわかったのは大きな収穫です。これを大学時代の恩師に行ったら「それがわかっただけでも、大学院に行った価値はありましたね」とにっこり笑って言われて嬉しかったです。

大塚:ここからはコミュニケーションについてお話をお伺いします。
公私共にいろいろな方々とコミュニケーションを取っていると思います。心がけていることは何でしょうか。
大下:まずは相手の話を聞く。そこで糸口をつかめれば、話は広がり、相手の意外な側面やとっておきの話が出てきます。

大塚:そうですよね!では人に伝える時に心がけていることがあれば教えてください。
大下:状況にあわせて3点心がけています。
まず嬉しいときとか楽しいときとか感謝したいときは、その気持ちをふくらませるだけふくらませて伝えます。
次に、注意しなければならないときなどは、感情的にならず、事実を伝え、その解決策を考えるよう伝えます。最後、自分が悪く、お詫びをするときは感情を込めて謝り、言い訳をしないで、解決策を提示しています。
全て言うは易し、行うは難しですが。。。

大塚:ご自身では、どのような人と一緒に働きたいと思いますか?
大下:「ごめんなさい」と「ありがとう」が素直に言える人、できるだけ言い訳をしない人と一緒に働きたいと思っています。これは自戒の念でもあります。
大塚:ロールモデルがいたら教えてください。
大下:両親です。
人生何とかなるという心構えは、母から受け継いだ財産です。たいていのことは笑い飛ばしてど~んと構えている母のすごさに頭が下がります。
父は、自分のことを笑い飛ばし、子どもからツッコまれてもボケられる懐の広いひと。この世代にはめずらしいユーモア精神の持ち主です。北国出身だからか、辛抱強さは宇宙一かもしれません。

大塚:今後のビジョンを教えてください。
大下:未来を考えるのはあまり得意ではなく、いつも「気づいたらイマココ」というパターンです。たぶんこれからもそうなのでしょう。「イマココ」がずっと幸せであればいいな、と思います。

大塚:就職活動する学生へ一言お願いします。
大下:ご自分の選択に自信をもって、胸を張って頑張ってください。

大塚:貴重なお話ありがとうございます。


大下 英津子
上智大学卒業、Gallatin School of Individualized Studies (MA), New York University修了。『火成岩』(2008年、文溪堂)、「シーラ」「ポンペイ再び」(『アメリカ新進作家傑作選2007年』所収、DHC)を翻訳。翻訳協力多数。

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